15年通った東京の酒場は、いまどうなっているのか

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このブログには、15年分の夜が積もっています。

2008年から書きためてきた「今宵の酒場」の記録は、306本。先日ふと読み返して、気づいてしまいました。ここに載っている店は、いまどうなっているんだろう——。

それで、一軒ずつ調べてみました。閉店した店。代替わりした店。移転した店。そして15年前と変わらず、今夜も暖簾を出している店。この記事は、その「答え合わせ」の記録です。

もう会えない店

さかなや 晴レ(西荻窪)——ビル2階、一升瓶が並ぶ急な階段

さかなや晴レ(西荻窪)当時の記録写真

西荻窪駅北口から女子大通りを歩いていくと、ビル2階の窓越しに一升瓶がずらりと飾られた店がありました。それが「晴レ」。店に上がる階段にも魅力的な酒瓶が並んでいて、しかもこの階段がメチャメチャ急なんです。「酔って落ちる人いないのかな」と毎回思っていました。ちなみに私はまだ落ちていません。たぶん。

「何か適当に3種呑み比べでお願いしまぁ~す」が私の定番の注文。震災の年の夏には、東北で頑張っている酒蔵3つのお酒を出してくれました。ほんの1杯のつもりが、気づけば3種呑み比べを4回転していた夜もあります。神亀のひやおしを一升瓶4本並べてもらって、酔う前から笑ってしまった夜も。必ず頼んでいたのは「豚バラの味噌焼」。焦げ目のついた味噌を少しずつ舐めながらお酒をチビリ……たまらん旨さでした。

ブログには8回登場しています。実際には、もっと通っています。あの急な階段を、もう上がれないなんて。

▶ 当時の記録:東北の酒と骨せんべいの夜神亀ひやおし4本の夜

酒処 吉本(新宿)——蔵を巡って「コレだ!」だけを置く店

酒処吉本(新宿)当時の記録写真

西新宿のビル3階にあった居酒屋「吉本」。店主が自分の足で地方の酒蔵を巡って、「コレだ!」というお酒だけを置いてくれる店でした。名物はミョウガときゅうりとイカの一皿。素っ気ないようで、これがお酒に合うんです。

忘れられないのは、震災から2ヶ月後の夜。仙台で酒屋を営む友人と、この店で再会しました。その夜いただいたのは、気仙沼・男山本店の「蒼天伝」。地震で冷蔵庫が壊れ、「ちょっとヒネてるかもしれない」と言われた一本です。一口いただくと——旨い。口の中にフレッシュ感が広がって、盃が止まりませんでした。瓶が流されてしまって本数限定だったあのお酒の味は、15年経ったいまも覚えています。

▶ 当時の記録:蒼天伝と芋煮の夜宮城の酒8銘柄の会

目次

かたちを変えて、続く店

安兵衛(西早稲田)——ブログ登場9回、我が行きつけの王

安兵衛(西早稲田)当時の記録写真

このブログに一番多く登場するのが、西早稲田の寿司「安兵衛」。その数、9回——というのはブログに書いた分だけの話で、実際にはその何倍も暖簾をくぐっています。始まりは偶然でした。何の情報もなくランチでふらりと入ったら美味しくて、ちょうど1週間後には会社の人を連れてカウンターを予約していました。

甘辛い醤油味の突き出しは「これだけで1合飲めちゃう」美味しさ。あんきもをチビチビやっていると「ガッツリ食べちゃってよぉー」と笑われる。トロたくのカリカリとねっとり。飲み助の心を読んだタイミングで出てくる、ふんわりアナゴ。……書いているだけでお腹が空いてきました。

安兵衛は、いまは代替わりして暖簾を守っています。あの頃の大将の寿司はもう食べられないけれど、店の灯りが消えていないことが、こんなに嬉しいとは思いませんでした。

▶ 当時の記録:初訪問から1週間で再訪した夜白えびから始まった夜

おみの(西荻窪)——「まいどぉ~」とハモを切る音

西荻窪の懐石「おみの」。長いカウンターの向こうで、シャキッ、シャッキと音を立ててハモを切るご主人の「まいどぉ~」に迎えられる店でした。注文はいつも「ちょろちょろコース」。そんなコースがメニューにあったのかは、いまだに分かりません。おやっさんにそう言うと、ちょうどいい量で、ちょうどいいものが出てくるのです。

汲み上げ湯葉にウニがどーんとのった一皿、昆布ダシの効いたお椀、この時期は必ず入るハモ。お酒は「鄙願」と、店のオリジナル酒「はるおみ」。ブログに書いたのは1回だけですが、実際には何度も通った店です。いまは代替わりして続いているそうです。あの「まいどぉ~」の声は継がれたでしょうか。

▶ 当時の記録:ちょろちょろコースの夜

川二郎(中野)——昭和のカウンターは、娘さんへ

川二郎(中野)当時の記録写真

中野の「川二郎」は、『美味しんぼ』にも載ったことのある串焼きの店。L字型のカウンターにパイプ椅子という、昭和をそのまま閉じ込めたような空間で、よそでは食べられない珍しい部位を焼いてくれます。まず一通り注文して、足りなければ追加するのがここの流儀。

調べてみると、一時休業を経て、いまは先代の娘さんが焼き台に立って店を続けているそうです。あのレトロな空気が親から子へ受け継がれていると知って、次に中野へ行く理由ができました。

▶ 当時の記録:立ち飲みからの2軒目に流れ着いた夜

日本酒スタンド 酛(新宿→茅場町)——引き戸の音ごと、引っ越した

日本酒スタンド酛(新宿)当時の記録写真

「新宿に面白い立ち飲みができたらしい」と、ガラガラと引き戸を開けたのが「酛(もと)」。コの字型のカウンターだけの小さな店で、銘柄にとらわれず「いいお酒」を出してくれる、酒飲みの気持ちが分かる店でした。

新宿の店は閉じましたが、いまは茅場町に移って営業を続けているそうです。店は動く。でも、続いている。それだけで十分です。

▶ 当時の記録:初来店、コの字カウンターの夜

変わらぬ暖簾

そして、驚いたことに——15年前の行きつけの多くが、いまも同じ場所で暖簾を出していました。2026年の口コミが、ちゃんと動いているのです。

酒房高井(西荻窪)——疲れた夜の、いかわた焼き

酒房高井(西荻窪)当時の記録写真

頭の中が真っ白になるくらい疲れた日、「ちょっと一杯だけ」とふらりと立ち寄れる店。カウンターと長椅子、昔ながらの飲み屋の内装にホッとさせられます。イカとワタが別々の皿で出てくる「いかわた焼き」、甘辛い「新じゃがと豚バラ煮」。記録に残した以上に、何度もお世話になった店です。ああ、いまも西荻窪にあるんだ。

▶ 当時の記録:お疲れの夜のいかわた焼き

阿佐ヶ谷バードランド——あの焼き鳥は、一つ星になっていた

阿佐ヶ谷バードランド当時の記録写真

ガラス張りの開放的な店で食べた、自家製レバーパテと炙りたてのフランスパン。ペタ、ソリ、ボンボチ——部位の名前を覚えたのはこの店でした。〆の軍鶏親子丼と、味の濃い軍鶏卵のプリンまで完璧。

調べて驚きました。いまやミシュランの一つ星です。私の舌、なかなかやるじゃない……と当時の自分を褒めたくなりました。

▶ 当時の記録:部位の名前を覚えた夜

田のじ(目白)——巾着を破ると、うどんが出てくる

田のじ(目白)当時の記録写真

目白のおでん「田のじ」。名物は「きつねうどん」です。大きな巾着がドーンと入ったおでんかと思いきや、油揚げを破ると中からうどんが登場。関西風のダシがよく絡んで、遊び心まで美味しい一品でした。透明感のある生ホタルイカ、プチプチ食感の明太子ソーセージ。月曜からこんなに贅沢しちゃって、と書いてある当時の私に乾杯。ここも、いまも営業中です。

▶ 当時の記録:巾着うどんに驚いた夜

いせや総本店(吉祥寺)と、いせ源(神田)——老舗は、老舗のままで

いせ源(神田)当時の記録写真

吉祥寺の「いせや」は、当時焼きとり1本80円。本店の建て替えを「ちょっと寂しい」と書いていましたが、あれから15年以上、3店舗でいまも大行列です。神田の「いせ源」は、下足番さんに迎えられて黒光りする階段を上がる、あんこう鍋の専門店。天保元年(1830年)創業の暖簾は、当然のようにいまも神田にあります。100年続く店は、15年くらいではびくともしないのでした。

▶ 当時の記録:1本80円の焼きとり下足番さんとあんこう鍋

また行こう。今度は、記録のためじゃなく

15年分の記録の答え合わせをしてみて、分かったことがあります。

  • 消えてしまった店の記憶は、書いておいた者にだけ残る
  • 店は思ったよりしぶとく、かたちを変えてでも続いていく
  • そして「まだある」と分かった店には、行けるうちに行くべき

晴レの急な階段も、吉本の蒼天伝も、もう写真と文章の中にしかありません。でも高井のいかわた焼きも、田のじの巾着うどんも、まだ食べられる。次の特集では、いまも通える東京の老舗酒場を、あらためて歩いてみようと思います。

また行こう。今度は、記録のためじゃなく。

※本文中の写真と内容は訪問当時(2007〜2019年)の記録です。営業状況は2026年7月時点で調べたものです。おでかけの際は最新情報をご確認ください。

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